赤毛の長い髪の毛の少女が、恐怖と衝撃に震え、小さな悲鳴をあげた。
彼女の運んでいた白い紙類に飛び散った赤が、現実感を伴わず、今ここにあるこの状況を、夢であるといっているかのようだ。
蹲り小さなうめき声を上げる少年はゆっくりと頭を上げると、右顔面を押さえたままアスランとメイリンの方に目を向けた。
「ちょっと・・・なんでぼおっと見てるんですか。メイリンも、さっさとこれよけないと余計汚れるぞ」
「あ・・・・シ・・シン!」
メイリンは焦ったように資料をかき集めるが青ざめて震えている。
シンは立ち上がりアスランに目を向ける
「・・あんた軍人でしょ。なんでそんな青い顔してるんですか、応急処置とかの実習あったんでしょ?」
「あ・・ああ。そうだ、お前痛みは?」
「痛いですよ、右目が。切れたのかな・・・」
「医務室へ行こう。手を貸す」
「いいですよ、汚れますよ」
シンはアスランの手を避け壁伝いに歩き出す。メイリンは泣きながらオロオロしているだけで全く声も出せずにいる。
「メイリン、俺平気だから気にするな。アスランさんメイリン手伝ってやってください」
「・・一人で大丈夫なのか?」
「だから平気ですってば。そこの作業員さん。悪いんだけどここ片付けといてね」
呆然としていた鉄材を落下させてしまった作業員は慌てて組んだ平台から飛び降りて頭を下げる
恐らく、彼ら雇われ作業員にとってはザフト兵のしかもエリートとされる赤服に危害を加えたとなるとかなりの大事件に違いない。
それを察したアスランは気にしないで、大丈夫です、と作業員たちを制してメイリンとともに資料を集めた。
歩いていくシンの足取りは静かで、押さえた顔面から流れる血は勢いが弱まったのか手持ちのタオルのようなものに換えて傷口を止血の為にぐっと圧迫した。失血性の貧血もなく、シンは痛みはあるものの自分の足で歩く。
歩きながら、事故がおきた瞬間のあのアスランの青ざめた顔を思い出す。
怪我を見るのが苦手ってほどでもなさそうだけど・・・
苦手なのはシンのほうだ。この二年で多少克服こそしたものの、以前は血を見るのも苦手だった。
但し自分の血液に関しては一切苦手意識はなく、寧ろそれが自分であるほうが何倍も気楽であり、他人の傷を見ることよりも数倍冷静で居られる。怪我をしたくはないし、痛みを受けることに対する当然の恐怖心はあるが、事実起きてしまえば何も慌てることはない。
メイリンを送った後艦長に事の次第を告げ、彼にしては焦った足取りで医務室に駆け込んだ。
「シン・アスカはこちらに来ていますか?」
医療班白い着衣を見るや否や、慌ててそう口にしていたアスランは、視界の端で頭と右顔面部に包帯を巻かれているシンを見た。
どうやらさほどの重症ではないようだ。
安堵して歩調を緩め室内へと進ませるアスランに、シンは言葉を返す。
「ここにいますよ。たいしたことないです」
「ええ。右の上瞼を鉄材の端で切ってしまったみたいですけど、眼球には傷もついていませんし。傷さえ塞がればすぐに包帯も取れますよ」
医師はそういうと、治療道具を片付ける。
「縫っているんだから暫くは安静にしておいてください。それと痛みが酷いようなら痛み止めもありますから」
「あ、はい。どうも」
シンは錠剤を入れた袋を受け取りたちあがる。
「驚きすぎですよ、アスランさん。別に怪我くらいで」
「ああ・・まあそうなんだが。大丈夫なら俺からメイリンにフォローを入れておく。お前はもう部屋に帰って休め」
「今日はさぼりオッケーですか?」
「・・ああそうだな」
シンは小さくラッキーと言いながらアスランの横を歩き、その様子からは重症とは程遠いように感じられる。
アスランはあの悪夢が正夢だったのかと一瞬焦っていた。今思えば自分でも情けなくて恥ずかしい程に固まってしまっていたことを悔やみ、内心小さく自分自身に毒づく。小心者め・・と。
「シン!大丈夫?あんたものすごい怪我したって」
駆け寄ってきたルナマリアは、恐らく妹が泣きながら訴えた内容と、眼の前で暢気に歩くシンの様子の差異に驚いているかのように目を丸くしたまま声を掛けてきた。
「やっぱりそうかー。ああルナ悪いんだけどさ、メイリンに瞼ちょこっと切れただけって言っといてよ」
「わかった、でも大丈夫なの?」
「うん。なんともない。それじゃ俺部屋こっちだから。アスランさんもすいませんでした」
シンはすたすたと自室の方向に向けて歩いていく。
そのあまりのこざっぱりとした様子に、ルナマリアは怪我が本物かどうか疑わしいですよね、と冗談めかして言う。
しかし、あの瞬間の血の量と衝撃は凄まじいもので、アスランは理由があったにせよ一番焦ったこともあり、苦笑しかできなかった。
「でもシンにはお礼しなきゃ・・。妹助けてもらったんだし」
「そうだったな。素晴らしい反射神経だな、咄嗟に庇えるなんて」
「・・まあ、そうできるように反射神経鍛えてる節も・・なくはなかったですけどね」
「どういうことだ?」
「守りたいんですよ、自分以外のほかの人を傷つけたくないんですシンは」
「仲間思いでいいやつだな」
「・・・そうですね」
ルナマリアは少し一呼吸置いてから可愛らしく笑ってみせると、それじゃ失礼します、と軽く敬礼をして妹のいる場所へと去っていった。
アスランは一区切りついたことにほっとして、恐らく後で痛みと悪くすれば熱でも出すかもしれないシンに見舞いの品でも持っていくかなとぼんやり考えていた。
疼くような痛みが右顔面から広がってくるのをシンは歯を食いしばって堪えていた。
「くそー。いてえ・・・」
弱音を吐きたくはないし、痛いくらいで人に縋りつこうとは微塵と思わないシンはベットに蹲って一人で唸っていたが、やがてそれにも疲れて眠ることにした。
昨晩あまり眠れなかったのだから、薬でも飲めば催眠効果できっと眠れるだろう。
そう思い部屋にあった簡易用のかさかさとした栄養食品を無理やり口に詰め込み水とともに流し込むと、間を入れず薬も飲み込んだ。
効果が悪くなるし、胃も荒れるから何か食べないといけない。それを実行する為にしてはあまりに乱暴な食事の仕方で、効果が期待できるかどうかもやった本人だってわからないようなものだったが、シンはそのまま再びベットに蹲る。
やがて訪れる深い眠りを心待ちにしながら、痛みをやり過ごすことにしたのだ。
「熱がでるかもしれない。氷と水を持って来た、辛くなったら言え」
「やけに優しいなレイ」
「メイリンに頼まれた。まあそうでなくても自分の意思でそうした」
レイはドアを開け戻ってくると、ベットに丸くなって眠りにつこうとしているシンに彼の眠りを妨げないような静かな声でそういうと部屋の電気はつけず自分の机の前に座った。
「平気だよ・・おやすみ」
「ああ・・」
シンはやがて静かな寝息を立て始めた。生命が確かにそこにあると分かるような静かな寝息は無音の部屋にじんわりと広がっている。
息苦しそうな声が漏れると、レイは足音を立てずベットの傍に行く。冷したタオルをシンの額に乗せそしてじっと見下ろす。
「優しいのはお前だ・・・」
艦長にシンの療養許可を貰いにいったアスランだったが、当然タリアもそれには即座に許可を出してくれ、あっさりとザラ隊から一時的にシンが外れても大丈夫なように準備がされた。
「それじゃあアスラン、シンのことよろしくね」
「はい。後で様子を見に行きます。レイが同室にいる以上心配はないでしょうが」
「そうね、あそこで落ち込んでる彼女にも声かけてあげてくれると嬉しいんだけど・・・」
タリアが溜息交じりに目配せしたのはメイリンの方だった。姉のルナマリアにシンの状態を聞いて、心配ないと言われても完全に落ち込んでいた。
それを見ながらアスランはシンの早めの回復を祈るしかないとタリアと同じような溜息をついたのだった。
レイとシンの部屋はアカデミー時代から同室で、慣れたもので、シンの扱いが一番上手いのはやはりレイだった。
心配はないとは思ったが、現場に居合わせたものとしても、未然にそれを塞げなかった自分の愚かさにも、はっきりとした断罪をするためにもやはりシンのお見舞いに行くべきだと決めていたアスランは、仕事を早々に切り上げて、艦内のショップや、食堂にあるテイクアウトの食べ物を持ってシンの部屋を訪れる。
熱い、頭が痛い。シンは寝ていることが苦痛になっていたが、体が思うように動かず、瞼が重く閉じていて、そこから脱出できないでいるかのような感覚だった。
・・水が飲みたい・。熱い・・
呻き声を上げていると、ふいに額が軽くなり、頭の痛みが一瞬和らいた。途端ひんやりとした何かが額や頬に触れ、それが心地よくて、シンは一瞬痛みも熱も忘れそうだった。
目がゆっくりと視界を呼び覚まし、その冷たさの正体を見せる。
「気がついたか・・。そろそろ起きて何か食べろ。薬も飲まないと・・」
「・・アスランさん・・・?」
アスランはほっとした笑みを浮かべ、シンの額の汗を拭くタオルを取ると、手のひらで額に触れる。
「まだ熱はあるな、まあ今夜くらいで治まるだろう。目なんて怪我すると頭も痛くなるからな」
レイとともに自分を見下ろしているアスランが余に優しいので一瞬面食らったシンは、それまで痛みと眠気と熱でぼんやりとしていた筈なのに、すっかり目が覚めてしまった。充分に睡眠もとり、風邪を引いたわけではない体は空腹を訴えていた。
「・・腹減った・・・」
「そう思って色々貰ってきたから食べろ。何がいい?暖め直すものもあるから・・」
「いいですよ、隊長にそんなことしてもらわなくても、自分でします」
「滅多にないことだぞ、隊長が部下のために看病をするなんて。折角だから受け取れ」
「レイまで・・・。アスランさんもういいです、すいませんでした」
アスランはシンへの見舞い品を彼の遠慮も関せず袋から取り出すと、勝手に準備をし始める。
シンは、複雑な表情だが、素直に応じることにしたのか、口を開く
「じゃあ・・プリンで・・・」
意識して誰かに甘えることなど、あまりに久しくてシンは動揺していた。最もシン自身が気づいていないだけで、彼は無意識にレイとルナマリアには甘えを見せていたのだが。
一方のアスランも、そんなシンが素直に自分に甘えてくれたのが嬉しかったのか、優しい笑みを浮かべ、穏やかな口調でシンを労った。
不器用で甘ったるい空間が、そこにはある。
そしてやがて食事を済ませ薬を飲み眠りにつくシンを見送り、アスランは部屋を出て行くまで、それは続いた。
「それじゃあ俺は戻る。」
「はい、ありがとうございます。あとは俺だけで」
「ああ、でもレイも休んでくれ。暫くはシン抜きになるかもしれないんだからな」
「承知しております、ご心配なく」
レイは真面目な顔、でいつも通りの淡々とした口調で返すと、アスランが立ち去るのを確認してドアを閉めた。
歩きながら、アスランはどこか安堵していた。
シンは他人を大事に出来る少年だ。そしてそんな彼を大事にする仲間もいる。
ルナマリアの言うところの「自虐的」ということが、彼の多少であろうとも自殺願望を持っているということを意味するのではないということを確認できただけでも嬉しかった。
誰かを大事に出来る人間は、死にたがりはしない。
生きるという戦いをすることを決意し、そして強い願いを抱き戦場に立つシンなのだ、おそらく強いはずだ。
アスランは昔金髪の少女に言われた言葉を思い出しながらそんなことを考えていた。
ただそれだけしか、まだ答えはでていない。けれどもアスランは、シンと彼自身の強さを信じられると、そう思ったのだった。
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