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「では彼らの行為は、正式なミネルバ艦内におけるテロ行為だと?」
ミネルバ艦長・タリア・グラディスは事件発生より、12二時間後、ようやく事件の全貌を見ることに成功した。
彼女が事情聴取の人材として、被疑者であるシンが指名したアスランを独房のある区画に送り込んでからの時間はおよそ8時間、事情を聞くのに八時間も必要だったかどうかは知るところではない。深い追求を避け、タリアはありがとうとアスランに返した。
「・・・・氾濫因子ね・・」
「ええ。彼らには同艦内のクルーに対する殺意があったようです。おそらくシンを口止めし、その間に対象人物の抹殺を図る意図があったかと思われます」
「・・・そうね、医務室から個室に移し彼らにも事情は聞いたのだけれど、答えないのよ。おそらく自分たちが不味いことをしたという自覚はあるようだから・・冗談だったにせよ本気だったにせよ。これは重罪になる」
「裏切り行為には、死罪もありうるわけですから・・・」
このときアスランには自分がその先、同じように反逆罪として追われる身になるなどという考えは全くなかったが、それでも彼らの自分に対する悪意には納得がいく。
恐らくは本気で殺すつもりなどなかった。しかしどこかでそのストッパーが外れてしまえば、軽々しく抱いた殺意はどこへ向くか分からない。
シンの傷つき泣いている姿を見ると、肉体に一切の被害を受けていない筈のシンのほうがよっぽど重症に見えた。
『彼』だからこその贔屓目かもしれない。しかしアスランは卑劣な彼らの行為が許せなかった。
「恨みを抱くのが、私であるならその刃を向ける矛先は私であるべきです。それをすり替え憂さ晴らしに私の身近なものを傷つけようという意志には、社会的にそれがもしさほどの大罪とならなくとも、私は敢えてそのときこそ特権を行使します」
「同感ね・・。私もこんなもの要らないと思ったけど・・。使うべきときには使うでしょうね。でも生々しい話をすれば彼ら三人の階級、及び重要性をシン一人と天秤にかけてもシンのほうが今のミネルバには重要。でもそうでなくても、私はあの子を支持するわ」
これは明らかな贔屓であると分かっていても彼女もまた、シンを選んだ。
「本当は、純粋でとても優しい子ですものね」
「・・・はい」
何度となく食事は運ばれてきていたが、シンは口を付けなかった。
事実こうしたシンの行き過ぎた行動は、誰がどう擁護してくれようとも上官であるアスランや、そして艦長にも迷惑を掛けている。
それが自覚できないほどシンは愚かしい浅墓さは持っていない。
行動として示すことが上手く出来ない彼が取った行為が、食事を口にしないということだけだったのだ。
処分は三日の独房での反省で片付いた。
シンは自分の非は認めていなかったが、事実周囲にかけた迷惑としては妥当な処分だと感じているのか、それに対して何のリアクションもなく、三日目の朝自分を向かえに来たアスランにまっすぐ敬礼だけを返した。
「・・・顔色が悪いな。お前食事を口にしなかったそうだな」
「欲しくありませんでしたから」
その頑なな態度に、アスランはまたしても大きなため息をつく羽目となった。
三日前自分の手を?み、朝まで放さなかったしおらしさも可愛さも欠片もなく、いつものシンだった。
しかしそれこそが彼らしくもあり、またあの幼子のような泣きじゃくる姿はアスランを不安にさせるだけ、いつもの彼の毅然とした態度に戻って貰えてよかったのかもしれない。
アスランとともに艦長室を訪れ、そして処分申し渡しをされ手錠が外された。
シンは手首を摩りながら、タリアに敬礼を返す。
「あなたは犯罪を未然に防ぎ、またテロ行為を働く危険因子を事前に検挙するという有益な行動をとってくれた。しかし同時に、己の意志に任せ悪戯に武力を行使したことも事実。そのことは評議会に報告しましたが、あなたの功績を称え不問に帰すとのこと。よって私と隊長であるアスラン・ザラによってあなたへの罰則を決定しました」
独房を出てシャワーを浴びることを許可されたはいいが、その後の任務としてすぐにタリアから命令が下された。
何故こんなところで芋の皮むきをしているのか、シンは大きな水桶に先ほどから皮をむき続けているジャガイモを浮かべる。
「ちょいと、あんたもうちょっとしっかり剥いておくれよ!そんなんじゃ食べるとこ減っちまうだろ」
「あ・・ごめんおばちゃん」
「全く、なんの罰だい?居眠りでもしてたのかい?」
食堂の調理師である女性たちは、そういう使命を受けましたといって彼女たちの戦場であるこの厨房に入ってきた少年に目を丸くしていた。
命令であるなら仕方ないと言いつつも、忙しい厨房での仕事を手伝ってくれる要員なら大歓迎の彼女たちはシンを迎え入れたのだが、あまり得意ではないことが丸分かりのシンの手つきのせいで、先ほどから不安で落ち着かないのだ。
艦長の命令出なければ役立たずの少年などとっとと追い出してしまいたいところだが、真面目にやってくれている以上そんな非情なことは言えたものではない。
シンが命じられた1日1時間×1週間の調理室の手伝いは、まるで学校で鳥小屋の鳥を逃がしたか、花瓶でも割ってしまったかのような罰則で、シンとしては余計に恥ずかしかった。
ならいっそ減給とかのほうがましだ。
おばちゃんたちとお揃いの割烹着で皮むきをしていたが、あまりに下手なので、叱られてしまったのだ。
「ああもういいよ、あんたは注文とってくれ、そのこカウンターに立って食券受け取ったらメニューを読み上げてくれるだけでいいから」
「うん」
「うんじゃないよ」
「は!はい・・」
女性のパワーと云うものは凄い、年齢に関わらずシンは女性と云うものに未だ嘗て勝てたためしがない。
剥いていたジャガイモと包丁とり上げられカウンターに追いやられたシンは、早速注文を出すクルーに眉をしかめた。
「何やってんのシン」
「お前・・いつから食堂勤務になったんだ?」
「まさかパイロット廃業??」
案の定一番馬鹿にしてくるだろう彼らに見つかってしまった。
シンの処分に関して知るのは、アスランとタリアだけの筈。言われなければ、見られなければ、ここで割烹着でお手伝いなどと云う情けない姿を晒す必要はなかった。
しかし見られてしまったものは仕方ない。
メイリンたちの後からやってくるルナマリアとレイも困惑顔で自分を見ている。
「何言ってんだよ、知ってるだろ、暴行事件の罰だよ」
「ああ、それで・・でもお前なんかそれじゃ少年院出てきた不良が、社会復帰の為に身元引受人のとこで手伝いしてるみたいだぞ」
ヨウランの表現は余に的確で、シンは閉口する。
「もう、さっさと注文しろよ」
「じゃあオバちゃん、俺カレー」
「オバちゃん、俺オムライスセットね」
「私はパスタランチー」
完全に馬鹿にされている。ヴィーノとヨウランに何か言い返そうかと口を開きかけた。
しかしシンの顔の横すれすれをオバちゃんの菜箸が勢いよく伸びて彼ら二人の眼の前で止まる
「オバちゃんは余計だよ、さっさと注文してお食べ!それから残したら・・許さないよ」
ホーク姉妹もあと何十年、こんな大人になってしまうのだろうか。
レイとルナマリアの気遣うような、無言の挨拶にシンは小さく笑って返すと、すべきことをキチントこなす為次の客を待つ。
こうやって動いていれば余計な事は考えなくて済むだろうし、恐らくアスランが進言したと思われる自分の罪状の軽減にシンは負い目を感じることもなくなる。
罰は罰として受け入れなければならない。
「ちょっとシンー。もうそっちいいから皿洗い頼むよ」
「はいー」
オバちゃんたちのシンをシンと思わないような物言いも態度も、逆にありがたいもので、怒られたりはするもののすっかり落ち着いていた。
「あらやだーアスランだよ。男前だねー」
「やだシバタさんああいうのタイプ?優男じゃないかー」
「いやいやー。いい男だよー。あたし注文取りたいわあー」
シンは皿を落としかけた、心臓が飛びはねるとは正に事のことで、シンは恐ろしくて後ろが振り向けない。
独房を出るときは目が合っても自然に振舞えたし、あの時は自分が一応罰せられる立場であるという重さがあった。
三日前の独房での見苦しいとシンが思っている自分の泣きつく姿と朝まで?んで放さず、放されもせず手を握り続けてもらっていたことなどを急に思い出される。
だから考えないようにしていたのに、シンはかあっと赤くなりそうになるのを必死でこらえて、冷たい水に乱暴に手を入れ、無心に皿を洗い始めた。
食堂に来たアスランは、注文ついでにシンの様子を見るつもりだったのだが、何故かカウンターにずらりと並ぶ食堂の調理師たちにブロックされていた。
「あ・・えっと・・Bセットを」
「はあい」
語尾にハートマークでもつけたら似合いそうな声音で、年甲斐もなくはしゃぐ女性たち。アスランは一体なんなのだと首を捻りつつ苦笑した。
「アスランだから大盛りにしといたよ!おばちゃん応援してるからね!」
「ずるいよキムラさん!私も応援してるからね!おまけに冷凍みかんあげるよ」
「は・・はあ・・どうもありがとうございます」
苦笑して、女性たちのきゃあきゃあ言うのを聞き流し、アスランはちらっと厨房の奥を見る。
「シン。まじめにやってるか?」
水音で声を掻き消してやろうと蛇口を捻っていたのに、シンはいつの間にか水を緩め、アスランのほうに耳を傾けていた。
彼のその行動は無意識ではあったが、恐らくシンはアスランの声が聞きたかったのだろう。
「・・・やってますよ命令どおり!」
「ならいい。」
アスランは優しい笑みを浮かべトレイに山盛りの彼女たちの愛情を乗せて一礼して去っていく。
「きゃー。かっこいい!」
「若いのに、しっかりしてるねえー」
「さすがは「ふえいす」だよねえ」
女性たちは無邪気に騒いで、そしてひとしきり騒ぐことに満足したら通常の業務に戻る。
「なんだあれ・・韓流スターかよ・・」
眉を顰め小さく毒づいたシンを、隣に戻ってきた女性がつつく。
「ねえねえ、あんたアスランの部下なんだよねえ?」
「はあ・・・まあ」
「かっこよくていいねえ、あんたんとこの隊長さんは」
「そうそう、ここはもう花も「種」も枯れたおばちゃんしかいないからねえ」
上手いこと言った!と盛り上がるオバちゃんたちに呆れてものもいえず、シンはさっさとここを出たいと真剣に思った。
「憧れるだろ?」
また心臓に衝撃を覚え、シンは思わず手を滑らせ皿を落としてしまった宇宙であっても、皿は割れる。
床に激突した洗ったばかりの白いお皿は、音を立て破片を飛び散らせた。
「わ!なにしてんだい」
「あ・・ごめん・・」
「全くもうー。あんたも可愛いんだけどもうちょっとしっかりしないと駄目だよ。今日はもういいから上がんなさい、ありがとう」
「明日もよろしくね」
とうとう本当に追い出されてしまった。
気にはかけていたが、元気そうで、どうやらいつもの彼らしい状態であることが、アスランには幸いだった。
驚くほど小さく見えた泣いている彼の姿は、いつものシンを想像することを困難にする。
「過保護すぎるかな・・・・まさかとは思うけど」
アスランは食べ切れなかった食事を同僚の体格のいい男の皿に移して食堂を後にした。
そしてオマケに貰った冷凍みかんを仕事を終えて帰ってくるだろうシンに、半分あげようと思って小脇に入れて持ち帰る道すがら、自分を見て人々がひそひそと話しをしているのに気づいてしまった。
それは嫌悪感や、憎悪から来る、いやな雰囲気の噂話をされているようなものとは異なり、なんだか物珍しいものを見るような目や、好奇心そしてなんだか期待に満ちた眼差しだった。
なんなんだと、聞き返そうかと自分を見て笑う人を睨み返そうとしたが、手招きするルナマリアに気づくとそっちへと足を向けた。
「なんなんだ、さっきから随分皆が俺を笑っているような気がするんだが・・・」
「・・・そりゃそうですよ。噂になっちゃってるんですよ、アスランさん」
「え?なんで?」
ルナマリアは言いにくそうに、口をもごもごさせて視線を泳がせる。そんな彼女の代わりに口を開いたのは、ただの伝達事項を伝えるかのようなレイだった。
「あなたとシンの関係は噂されています。独房で一夜を明かす濃厚な関係だと・・」
「・・・え?・・・・」
よもやそんな噂が実しやかに囁かされているとはアスランでなくとも誰が予想していただろうか。
レイが述べことは確かに事実だ。独房の前で鉄格子を介して二人して手を繋いで寝ていた。それはシンが放さなかったというのもあるが、彼が眠った後でも放せずにそこにいたのはアスラン自身なのだから。
「・・・・まさか・・とは思いますけど・・・・。本気ですか?・・なら別に応援・・しますけど」
「ちょ。ちょっとまて」
「禁断の社内(?)恋愛かあー。いいなあ憧れちゃうなあー」
ヴィーノたちまでいつの間にか加わり、勝手な妄想を繰り広げ始める。
思考が上手く働かず、何をどう弁明していいかわからないアスランは、自分のそういう情けなさを痛感していた。
「あのなあ・・お前たち・・・」
「ショックー、アスランさんのファンだっていう女の子多いんですよ?相手がシンなんてハードル高すぎる」
「競り勝つ勝たない以前の問題だよな、シンと付き合うなんて相当根性と愛情が必要だぞきっと」
メイリンとヨウランはもう自分の世界だ。
アスランは誰かに違うということを言いたくて全員を窺うが、誰しも皆もう完全に疑っている。そしてようやくたどり着いた視線の先にあったのは、レイの冷ややかにも思える目だった。
「レ・・レイ・・お前はそんなはなし・・」
「・・・・あなたは噂によるととても手が早いという・・・実際のところはどうなんでしょうか・・」
シンは割烹着を手に握り締めたまま廊下を百面相で歩いていた。
ここ数日の自分の酔狂な行動の数々を思えば、混乱するのも当然で、すっかり自覚してしまったやり場のない恋心に身もだえしていた
それでも事実シンはアスランのことを好きだった。それは甘ったるい、シンが最も踏み込みたくない領域でもあったのに。
自分のどこで間違ってしまったのか分からない性癖にシンは激しく嫌悪感を抱く。
・ ・でも・・・これって・・本当に恋なんだよな・・・・
「って俺気持悪!何これ!鳥肌たつ!」
シンは割烹着を床に叩きつけて鳥肌を押さえる。
有り得ないとずっと思ってきたことなのだ。どこかで道を間違えたのか、シンは激しい苦悩に見舞われていた。
「違う・・・」
アスランの声高に何かに反論する声が、廊下で一人悶絶しかけていたシンの耳に飛び込んできた。
本日三度目の心臓の飛び出す音がシンの考え込みすぎて弱ってしまった頭を刺激する。
どうやら、ルナマリアたちと何かを話しているようだった。
「え?じゃあ勘違いなんですか?」
「シンと出来てるなんて噂、なんで流れたんでしょうね?」
そんな噂が流れているかもしれないことは、あの男たちの言葉からもシンは察していたし、それはわかっていたが、実際ここまで広まっているとは思わず、近いうちにオバちゃんたちの耳にも届くかとうんざりしそうになった。
自分が出て行って弁解しないと、アスランに迷惑がかかる。
そう思ったシンが声をかけようと歩み出たとき、アスランはハッキリと口にしていた。
「大体迷惑だ、そんな噂あるわけがないだろう」
結構身近で聞くと分かっていてもきついな・・とシンはまるで他人事のように聞いていた。
そこに立つシンに気づいたルナマリアが「あ、シンもどったの?」とあっけらかんと言うのをシンは笑って返す。
能面のような貼り付けたような笑顔でシンは皆に挨拶をしてそして、それから自分がどうすればいいかわからないままでいた。
アスランは背中を向けたまま。
・・きついなあ・・・・・
悲しくも悔しくもない、分かっていた。シンの中にあるのは、妙な納得感だけだった。
それでも何故だろう、ここにいたくなくて、シンは貼り付けただけの笑顔のままとってつけたような言葉を繰り出し早々に立ち去る。
「そうだよ、気持悪いでしょ?ねえアスランさん。あ・・俺報告あるから、それじゃ」
上手く笑えているだろうか。
吐気がするくらい寒い自分が嫌で気持悪い。でも四度目の心臓の衝撃は、刃のようにいつまでも胸に刺さっていつまでもシンを抉り続けていた。
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