存在の証明
ルナマリアの持ち帰ったものは、アスランが想像したように大きく、そして危険な収穫だった。
彼女の持ち帰ったそれは、あのラボで行われていた、ある「実験」の研究ノートと、その資料であるディスクだった。
「あんな見上げた根性の女とはな、いい部下を持ったなお前も」
「部下だなんて、彼女に申し訳ないくらいだ。助かったイザークありがとう」
「例ならルナマリアホークに言え。それよりその資料・・やばいものだろ?」
「かなり」
不敵な笑みが自然とこぼれる、背中がぞくぞくする。
アスランのページをめくるては自然と熱くなっていた。
資料に記されている実験とは、一年前連合の行ったエクステンデットの研究をコピーし、そして調べて再構築したものだった。
戦闘により墜落した連合のパイロットであった少女のデータから、人体実験と、記憶操作の技術を盗んでいたのだ。
プライドの高いコーディネーターらしからぬ盗みまがいの研究を恥じて、地下にもぐっていたのだろうが、その資料がこうも簡単に手に入るのは些か不安を感じるが、アスランは敢えてその罠に飛び込むことにした。
『○月×日・・・研究とはいえ、年端も行かない子供や、難民を実験に使うのは苦痛だ。今日は記憶操作の実験の第二段階に踏み込んだ、これがうまく行けば精神科での流用が可能となるだろう、しかし今日の実験では、bQ3がフラッシュバックの衝撃で心肺停止をしてしまった・・・』
『○月○日・・・この実験をやれといわれたとき正直私は迷った。一度死んだ人間を再生させることなど不可能だ。しかし死んでいなければ、新たな細胞を構築させることはできる・・同じ人間を生み出すこと。それは本当にこれからのプラントのためになるのだろうか、噂に聞いていたコピーの実験をまさかここでやることになるとは思わなかった』
『×月○日・・・実験は成功だ、資料と全く同じ顔、同じ形・・眠ったままの彼を再び動かすことに成功した。私は研究者として成功したのだ。こんなうれしいことはない。だが一体だけでは不安だ、bQが安定期に入ったら、bRの実験を開始することにした・・・しかしもともとコピーである彼を再びコピーすることなど出来るのだろうか』
「これは・・まさか・・・」
研究施設が行っていたのは、貴重な遺伝子を持つものをコピーし、新たなプラントの兵器として生み出す研究だった。
それすなわち「レイ・ザ・バレル」のことである。
彼自身がコピーであったという事実を踏まえた上で、更にコピーを生み出そうという実験だ。
記憶操作とともにその両方を研究する、施設が次に行おうとしたのは。
「キラ・ヤマトに対立する兵器を作り出すこと・・そのために必要な器に使われる予定だったのがシン・・というわけか」
「・・・反吐が出る。そんな方法でやつに勝ってなにが楽しい」
「それが大人の戦争だろうな。しかし今はシンはオーブの市民で兵器としては利用できない」
だからこそレイを重要視するのだ、絶対的ザフト、プラントの要となるあの遺伝子によって生み出された少年。
「しかしこの表記なら。生きていることになるな・・それがオリジナルかどうかは不明だが」
「そうかもしれない。ただその「レイ」がどの「レイ」かは分からないけどな。イザーク、頼みがある」
「何度目だ、この貸しは高いぞ」
「倍にして返す。」
イザークはふふんと鼻で笑い、腕組みをすると聞いてやろうとふんぞり返る。
アスランはそんな彼の様子に呆れたり安堵したりしながら、彼に対して最後の依頼をした。
オーブの穏やかな気候と、自然な空気の匂いに、シンは深い呼吸をした。
ここへ来てだいぶたつ、病院でまるで飼いならされた家猫のように病院内をわけもわからずうろついていたころのシンとはまるで顔色が違う。
彼本来の持つ白い肌には、赤みがさして健康的な血色になり、死んだようにぼんやりとしていた目は、今は見たものをそのまま映し出す鏡のように澄んだ輝きを持っている。
散歩がてらでかけた海岸線沿いの道を、シンは一人自転車で走っていた。
「オーブって、本当にいいところだな・・」
空を見上げると小型飛行機が大きな軌道を描いて旋回していた。
その空を飛ぶ鳥にもにた飛行機が、日差しも手伝いひどく眩しく焦がれるもののように感じる。
飛ぶってどういう感覚なんだろう、飛行機だろうとモビルスーツだろうと、シンにはその遠い空を見上げることしか今はできない。
海岸線の一角に、ひとつの慰霊碑が建っていた。
周囲は潮風にもまけず花が咲き、そして物寂しげにぽつんと佇んでいるその慰霊碑の前に、一人の老人が立っていた。
「おじいさんなにしてんの?」
老人はシンに笑顔で家族と話をしていた。と答えた。
爆撃で家族を一瞬にして失いそして遺体も戻らなかった老人には、参るべき場所がわからない。
だからこうしてこの慰霊碑に毎日のように祈りに来る。
「・・・おじいさん一人なの?」
「いや・・・一人ではないよ。このオーブにいる限り、みなが家族だ」
国民を愛し国民に愛される国家元首を、シンは知っている。
そうだね、と老人の言葉にうなずいて、シンは慰霊碑に刻まれた名前を目で追う。
まるでそこに確かにいた人を、誰も知らないかもしれない人の存在が事実本当にそこにあったことをしっかりと刻んでいる。
「マユ・アスカ・・・昔の俺の苗字と一緒だ」
シンはその名前が胸に引っかかる。
アスカは都合上つけられた姓であると思っているシンはその名前に引っかかる理由が分からない。
そしてオーブにはもともといくつもある割と一般的な名前であるはずなのに、シンの目には、年齢としまだ子供である「マユ・アスカ」の名前に妙に吸い寄せられた。
酷く息苦しくなり、シンはその場を急いで離れようと背を向ける。
老人は慰霊碑をゆっくりと撫でると、背中を向けたシンに一言だけ声をかけた。
「・・・君は・・一人か?」
シンが振り返ると、そこに老人の姿はない。
老人の行方も正体も分からないのに、シンは恐怖を感じることもなかった。
再び背を向けてその場を離れるシンのその背中を、花の香だけを乗せた優しい風がそっと押していた。
坂道を駆け上がり、自転車のペダルを強く漕ぐと、やがて、有刺鉄線の絡まった高いフェンスに行く手を阻まれてしまった。その先はここと変わらない風景なのに、無機質な針金の集合体がこんなにも分厚い壁に感じられる。
この先には自転車ではいけない。
シンはその先がオーブではないということに気づいた。
「あいつ・・いるのかな・・・」
「レイ」と名乗る、柔らかな金髪の少年、シンは彼がこの柵の向こう側にいることを知っている。柵に指を掛けてぼんやりと遠く基地の建造物を眺めていた。
そのとき突然足元に大きな毛玉が飛び込んできて、シンを突き飛ばすようにのしかかってきた。
「うわあ!」
毛玉はシンに飛び掛り、面食らって倒れこんだシンの顔中をべろべろと嘗め回している。
それが犬だと気づいたのは、その毛玉を捕まえて抱き上げた人がいたからだ。
「すみません!」
「あ・・・い・いえ・・・びっくりし・・・あ・・レイ!」
「ああ、シンだったのか」
犬を連れていたのはシンが今しがたその所在を考えていたレイ本人だった。
カーキーの作業着で犬の手綱を持ったレイは、倒れたまま仰向けで自分と犬を見上げているシンを不思議そうに見ていた。
「なにをしていたんだ?」
「なにって・・・自転車で散歩・・・お前こそ何してんだよ・・・うわ、毛が入った!」
「犬の散歩、こいつ訓練中の軍用犬なんだけど、遊び好きで人懐っこいからちっとも訓練にならないんだ」
しかし今彼らがいるのはオーブの土地だ、柵一枚とはいえ、どこからここへ入り込んだのかとシンは起き上がって埃を払いながらあたりを見回す。
「どこから入ったんだよ、こんな柵がはってあるのに」
「簡単だ、山道を抜ければ抜け穴くらいいくらでもある。別に国境として柵が立っているわけじゃないんだ、基地の土地という名目で分けてあるだけだ、オーブの民間人が誤って軍事基地に踏み込まないようにするために。安全のためだろ」
犬は遊び足りないのか、やっと立ち上がったシンにじゃれ付いて離れない。
なぜそこまで気に入られたのかと、シンは困惑していたが、犬はお構いなしに、シンの周りをぐるぐると駆け回る。
「これで軍用犬になるのか?名前は?」
「ギルバート、俺がつけた」
「ギルバートなんて柄かよ、すごいアホっぽいじゃん」
「馬鹿だな、こう見えても賢いんだぞ」
レイは自分が世話を担当している犬を馬鹿にされたことに対して反論するが、それもどこか冗談めいていた。レイ自身ギルバートが多少使えないことも含め可愛い犬だと思っている。
シンは犬を撫でてやると黒く柔らかな毛並みの手触りは思った以上によく、自慢げに尻尾を揺らす犬の様子がまたおかしかった。
思わぬ再会を果たした二人は、しばし互いの立場を忘れ話をしようと海岸線を走る防波堤の上に座った。
「レイはどう地球の暮らし」
「ああ、いいよとっても、空気ってうまいんだな。初めてしった」
「今までずっとプラントにいたんだろ?」
「・・・多分」
「多分?」
「記憶がないんだ、いつの間にかプラントにいた」
レイの言葉はシンにとってある種、喜ばしいことでもあった。
彼は自分と同じ悩みを抱えている、記憶がない、自分の位置が分からない。
「俺も・・記憶がない」
「シンもなのか?」
「ああ、でも俺みんなにすごく世話になってて、みんなが優しくて、守ってくれるって言うんだけど、それじゃ意味ないだろ?」
シンはこの場所で過ごせばすごすほどに、自分の存在を不安に思うようになっていた。それは人として当然のことであり、記憶のない自分を周囲がまるで宝物でも守るかのように優しく包もうとしているそのこと自体に疑問を抱かないはずがない。
理由がない、理由を誰も教えてくれない。
元々家族だった親友だった、兄弟だった恋人だった、人が理屈をほしがるの同様に、シンも彼らの優しさの理由が知りたかった。
今まで考えもしなかったことだった。
病院の窓から、自分が何者か考えることもなくぼんやりと外を眺めていたころの自分が今は何故だか恐ろしくも感じる。
「レイは・・不安じゃないのか?自分のこと知らないままなんて」
「それは・・・だがそれは許されていない、俺がいた施設では、俺はそういう条件で自由な行動が認められたんだ」
「そんなの都合じゃん。俺たち生きてる人間なんだぞ。知らないままずっとこのまま生きていくのか?なあギルバートもそう思うだろ?」
シンは足踏みするレイを後押しするように、彼の唯一の親しい友のような犬に問いかける。
犬は答えない代わりにレイをまっすぐ見つめる。
その目が語るのは、何なのか、それは彼らにも分からない。
「とにかく・・俺と一緒に元の自分ってのみつけないか?返事はいつでもいい、俺またここに来るから、レイがその気になったら、またギルバートと一緒に来てくれ」
「あ・・おい」
「じゃ、そろそろ帰らないとキラが心配するから。またなレイ!」
シンはレイの呼びかけに答えず颯爽と防波堤を飛び降りて倒れたままの自転車を起こすと振り返り、小さく手を振って走り去っていく。
あっという間の彼の動きについていけず、レイは取り残されたかのように呆然としていた。
ギルバートは尻尾をふってシンに答えていたが、レイは目を丸くしたままだった。
「どう・・するべきだろうな・・ギルバート」
黒犬はうれしそうに尻尾を振ってワンッと一言吼えただけ。レイは遠ざかる自転車のシンの背中を見送りながら、自分の手のひらを見つめる。
「自分が・・誰なのか・・・・か・・・」
風は一層穏やかに心地よく、レイの首筋を流れていく。
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