遥か遠い宇宙へと飛び立つシャトルの遠ざかるシャトルを見送る彼の想いは一つだった。

彼の願いは唯一つ、少年に生きていて欲しいというそれだけの思いだ。

願いを乗せ空へ吸い込まれていくように小さく、そしてやがて消えるまで彼は見送り続けた、そして敬意を払い額に手を当てる。

 

「生きろ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 奇跡の人 前編

 

戦火が中立国であるオーブへまでその歩みを進めてくると、国民の大半は予想もしていなかっただろう。

しかしそんな平和を愛し生きる人々の願いも虚しく、オーブは戦場と化した。

地区ごとに巡回し、各民間人の避難施設となるシェルターを訪ね歩き、トダカが出会ったのは、まるで悪魔にでも出くわしたかのような恐怖と混乱に表情を強張らせ、ナチュラルとしてはあり得ない真っ赤な瞳を見開いた少年だった。

 収容施設には非難住民のほか。病院に収容しきれない軽症の患者を預かる簡易病棟や、逸れてしまった家族との連絡を取るための災害用の情報センターが設けられていたが。

少年はただ一人そこに座っていた。

 

「・・・君、家族とはぐれたのか?怪我は?」

 

 全ての人の言葉を聞き、全てに平等な安寧を与えることなど、この状況下では決して出来はしない。それが分かっていても使命である市民たちの援助や安全確保を執り行うべく、こうして訪れた施設で、誰に何をしてやればいいかわからず、ただ困惑していたトダカが最初に言葉を交わしたのがその少年、それがシン・アスカだった。

 

「マユ・・・父さん・・母さん・・・・」

 

ああそうか、彼は家族を失ったのだ。

 

それに気づいたとき、少年は絶望と悲しみに満ちた悲鳴を上げて、泣き叫んだ。

 

 

 

 

 

 戦争が終結し、やがてオーブは再び安定する国家になることを目指し、動き始める。

国家元首を失い、一時は国家壊滅かと思われていたが、ウズミ・ナラ・アスハの唯一無二の財産でもある、一人娘は毅然として国家に一生の愛を誓った。それが功を奏し、再び歩み始めることができたのだ。

 

「・・だからって、何も引き取ることないんですよ、トダカさんー」

「いや、いいんだ。こうなったら乗りかかった船だ」

 

トダカは避難民のもう殆どいないシェルターから動かず、戦争遺児の施設にさえ行こうとしないシンを、やむを得ず連れ帰ることになった。

事の始まりは、最初に話しかけたトダカにある。

それきりシンはトダカが来た時しか口を開かず、だからといって懐いている風情でもなく、ただじっと彼の軍服の袖を?み、一言一言とゆっくり洩らすだけ。

情報局や支援団体の人にはトダカはよほど変わり者に見えただろう、この壊れきった痩せた少年を引き取ろうなどというのだから。

 

何故こんなに懐かれたものか、とトダカは自分に問いかけたいくらいの気持であり、そして自分の行動の意外さに驚いていた。

シンが確かに不安な要素を抱えすぎていて心配ではあったのは事実だが、それ以上に、何とか彼を元に戻してやりたいと思う気持があったからだ。

 

「じゃあ、いこうか」

 

 

声には出さず、こくりと頷いたシンとともに、一人暮らしの自宅へと帰るトダカを、支援団体受付窓口の人は呆れ顔で見ていた

 

「知らないよ、どうなっても」

「いいんですよそれで」

「はあー。大変なことになるよ絶対」

 

窓口の中年女性の言葉は正しかったと、その後約一時間ほどで、思う存分思い知ることとなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 皿か何かの割れる音がして、慌てて帰宅すると、そこには予想通り、意図的に皿を割り。そしてトダカが用意していた食事を散らかしたシンがいた。

 

「シン。食べ物を粗末にするなと言っているだろう」

「うるさい!!」

 

 言葉が足りない、伝わらないもどかしさを、恐らくシン自身が一番感じているのだろう。

シンは発作的に暴れて、皿を割ったり、物を壊したり、泣き出したりする情緒不安定を絵に描いたような状態で、そしてこうして毎日用意してやる食事にも満足に手を付けない。

それでも何とか食べては、吐寫するのが今の現実で、やむを得ず何度か病院へ連れて行き、栄養剤を点滴で投与させたりもした。

 

「暴れるなら私は軍の宿舎に泊まろうかな、これ以上暴れられては私まで怪我をする」

 

 背中を向けて部屋を出て行こうとすると、咄嗟にシンはトダカを捕まえるのだ。

 

「いかないで・・・片付ける・・。ご飯食べるから・・・」

「そうか、なら一緒に片付けよう。食事は出前でもとるか」

 

 シンはトダカの服の背中を?んだまま無言で頷くと、落ち着いたかのように、大人しくなり、そうなるときちんとした人間らしい言葉で会話もできるようになる。

 

 彼は生きようとしているのだ、それを手助けできればそれでいい。そして彼がもう一度その鮮やかな紅に光を宿してくれたら。

そんなトダカの無償の愛のような願いは、少しずつだったが、シンに伝わっているようだ。

 

 

 

 

 「だから結婚できないんじゃないですか?精神状態のおかしな孤児を引き取るなんて・・・」

 

部下の一人でもある、アマギは業務中にそんな言葉を洩らした。

 

「精神状態がおかしいのは、私かもしれないな・・・」

「あ、いやすいません・・」

 

彼らがそういうのも無理はない、普通ではあり得ないし、あんな破天荒で情緒不安定な獣と生活なんて、いくら相手が可哀想でもよほどのお人よしか、馬鹿か・・もしくは

 

「・・それに噂されてますよ。トダカ一佐が・・そっちの趣味なんじゃないかって、孤児拾ってそのこを飼いならしてるって」

 

 

トダカはそういわれることは予想の範囲内のことで、いずれそう噂され白い目で見られるかもしれないことくらい覚悟していた。

でなければ、こんな酔狂なことはできないだろう。

彼らの言葉は事実、確かなことで、トダカの話は有名だった。

コーディネーターで孤児の少年、しかも珍しい紅玉の瞳の美少年だと言う。

 

「いっそその噂が本当であってくれたほうがありがたいくらいだ」

 

 トダカは呆れていたが、それは自分に対する呆れでもあった。予想されている惨事を回避せず、あらぬ噂の的となることを選んでしまったのだ。どうせもう噂なのだ、いっそ本当にお稚児趣味であったらまだ気分はましかもしれないだろう。

 しかし事実そんな噂とは程遠い現実、家に帰れば暴れば家を荒らしまわっているシン。疲れて眠ろうとしているトダカをたたき起こし、眠れないから何か話をしろと一晩中相手させる、といった散々な行動をとるのだ。

 

「大体、噂も噂だな・・。何が紅玉の瞳の美少年だ、趣味の悪い表現方法だな、あれはただの野生猿だぞ」

「猿・・・ですか・ははは」

「そうだ、勝手に人の大事なゴルフクラブを叩き割る。冷蔵庫の食料を全部捨てる。床に油性マジックで落書きをする。これが噂の美少年っとやらのすることか?毎日が格闘だぞ」

 

部下一同が疲れ切った上司を労う言葉もなく、そんな苦労の連続の場面を想像し憐れみの気持を込めて苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 がらんとした室内で、シンは一人で、窓の外を眺めていた。

昼間のトダカのいない静かな部屋は、がらんとしていて寂しさを駆り立て、そういうとき酷く暴れたくなる。

暴れるのは相手を傷つけようという意志や、悪意はなく。シンにとってそれは今は唯一できる感情表現だった。

しかしどこか冷静になる瞬間、シンは申し訳ない気持にさえなることもある。

 

・・あんなに優しい人なのに、俺は迷惑をかけてばっかりだ・・・

 

 自分にはもう心配などしてくれる人もいないのに、トダカは優しかった。

家族を失い拠り所のないシンにとって、今のトダカは唯一の理解者であり、唯一自分に対し愛情を注いでくれる人物。

怒る、怒鳴るではなく、彼はシンを「叱る」のだ。

 

叱るという行為は、人間が愛情を持って出ないと出来ない行為であり、我武者羅に怒りや衝動に任せ相手を怒鳴りつけるような行為とは同じような意味合いでもってして全く違うことなのだ。

 

今シンには出来ることが他にない。だからこそシンは与えてもらう愛情に返す答えとして食卓についた。

 

「ご飯・・食べよう」

 

シンはテーブルにある、食事を少し口にした。

湧き上がる嘔吐感を押さえて咀嚼する。そして吐いても吐いても、食べるのだ。

それしか今のシンにできることはない。今のシンはただ生きるという意志を見せることでしかトダカへの恩返しはできなかった。

 

 

 

 部下たちに心配されたとおり、同僚や別の担当部署の女性などにもひそひそと妙な陰口を言われたこともあってか、酷く疲れ帰宅したトダカは机の上の皿が空になっているのを見つけ、酷く喜びを感じた。

これを見れば、あれしきの噂だろうが、苦労だろうが、報われたのならよしとなる。

 

「お帰りなさい」

 

 シンのいつもより穏やかな口調には酷く驚いたが、その分嬉しさも増す。シンがさらに、不器用に、小さく笑って見せたことが、トダカを泣きたいくらいの感激に渦に巻き込んでいた。

聊か大袈裟ではあったが、トダカはその感激を隠そうともせず、本当似嬉しそうに優しい笑みを浮かべた。

 

「ただいま。シン」

 

 お帰りなさいとただいまは家族同士の言葉。

同じ屋根の下で住む「家族」としてトダカの凍りついた心を溶かす優しさが、次第にシンを光のしたへと導いていく。

 

可愛いじゃないか、と、トダカは思った。

その一瞬を表現するなら、でれっという擬音が似合う。

 

「いかんいかん・・・。噂が本当になるじゃないか、」

 

もちろん冗談のつもりだったが、トダカは苦笑して首を振る。シンに対するその可愛いという思いは、別段噂されているような野暮な意味合いは全く含まないし、そういう俗悪な感情以上に深く、云わば親馬鹿な感情に似ていた。

シンは不思議そうに百面相をするトダカを見ていた。

なんでもないと言い。土産に持ち帰った食事を差し出せばシンが、小さな手でそれを受け取る。

 

 

やはり愛情が実を結んだようで、それからというものシンの精神的回復は目まぐるしく、情緒不安定なことや、悪夢にうなされることは毎日のように起こってはいたものの、以前ほど暴れまわることもなく、トダカが断固拒否する食事を無理やり食べさせるような手荒な介助をすることもなくなった。

 

そんなときに。新しい家族はやってきた。

 

 

 

 

「・・・シン・・そちらは?」

「道に突っ立ってたから連れて来た」

 

ある日それはやってきた、帰宅したトダカを出迎えたのは、シンと一匹の犬。

白髪交じりの毛並みも既にぼろぼろで、両目とも白内障を起こしている素人目に見ても分かるくらいの老犬で、本来犬や猫などの好きなトダカは、その老いぼれてはいたが、大人しく賢そうな犬を即座に追い出すことも出来ず困り果てた。

 

「そうか・・道にな・・・。老犬だから足も弱っているんだろうな、おいで」

 

トダカの声に犬はてこてこと歩み寄り尻尾を振った。目は恐らく全く見えていないのだろうが、匂いとその優しい声を頼りにするように、犬は彼の傍へ行く。静かに優しく頭を撫でてやると嬉しそうにまた尻尾を振る。

 

そんな犬の様子に、連れて来た本人は不満そうな顔をしていた。

 

「あ。ずるい俺からは逃げるくせに」

「扱い方が下手なんだよ。うん、賢そうな犬だ。名前は付けたのか?」

 

この老犬に名前があったのかどうか、誰もしらない。シンには名前をつけてあげる義務がある。

 

「もしかしたらもう名前を持っているかもしれない。でもシン、お前がつけてあげるんだ。名前を持つことで、彼は生きる意味を持ち、彼の存在が此処に証明される・・さあどうする?」

 

シンは目を見開き、そしてゆっくりと脳を回転させていた。思考をめぐらし、そして誰かの為に何かをする義務を持つことで、シンには行動する必要性が生まれる。これはいい機会かもしれない。

トダカは老犬を家族として迎え入れることを決めてくれた。

 

 

 

「斉藤さん。おなかすいてない?」

「・・・シン・・斉藤さんって誰だ?」

「え?この犬だけど・・・」

 

翌朝、久々の休暇だというのに朝早くから目が覚めてしまったトダカは、リビングで早速つけた名前を呼び、嫌がっているようにしか見えない犬を撫で回すシンを見つけ溜息を洩らした。

 

「・・なんでそんな名前なんだ、もっと犬らしい名前をだな・・・」

「いいじゃん斉藤さんなんだから。なあ?斉藤さん?これでも一晩一生懸命考えたんだから」

 

犬はまるで助けを求めるかのように、自分を撫で回すシンから逃れてトダカの元へと歩み寄る。

 

「ははは。だめだなシンは。扱いを教えてやろう。そうだ、朝食を食べたら散歩に行こう。斉藤さんも外の空気が吸いたいだろう」

 

 丸い尻尾がふりふりと横に振られトダカは自分がやはり動物に弱いのだな、と痛感した。

 シンを動物と同じ括りにするのは、さすがのシンでも怒るだろうが、トダカにとってはもはやそれも同じようなものだ。

 

 ゆっくりとした散歩から帰り、柔らかく潰した食事を斉藤さんに与えると、シンは不思議そうにしていた。

病気なの?とでも言いたいのかそういう疑問の目だった。

疑問を持って欲しい、もっと何かに興味を持ち、好きになって欲しい。シンが偶然拾ってきた新しい住人、もとい住犬。彼が此処へ来ることは「必然」だったのかもしれない。

トダカは顔を綻ばせ、犬と並んでゆっくりとした朝食をとるシンの姿を眺めていた。

 

 

シンと共に寝食を共にし、そしてシンに新しい物を見せた犬の存在が、どれほど大いなる救いとなったかはトダカにも言葉にし尽くせない

それから幾日が過ぎたか、シンが笑顔を見せるようになった。

無償の愛情故の格闘の日々はついに実を結んだのだ。

平和なときだった。トダカにとってもシンにとっても、一生二人でいることなどないだろう、そうどこかで分かっていても。  

 

 

後編
なんだなんだへレンケラーか?
トダシンを期待しないでください。
未満です、未満・笑
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