「斉藤さんがいない」
シンの不安な声が揺れていた。
帰宅したトダカは、斉藤さん用の首輪と、シンに渡すつもりだったお土産をその場に置き、玄関に座り込みオロオロと焦りと不安に満ちた表情をしているシンを立たせた。
「探しにいこう、遠くへはいけないはずだ」
家を飛び出し、二人して斉藤の名を呼ぶ、近所の住人は、斉藤さーん、という呼び声に不思議そうな顔をしたが、それもなりふり構っていられず、必死で呼び続けた。
一抹の不安がトダカの胸を過ぎり、その不安はやがてしっかりとした形となる。
もう想像はついていた。
トダカは突然足を止め、シンの腕をつかむと低く、落ち着いた声で言う
「見つけたよ」
「え?どこ?斉藤さん」
家の近くの空き地、その片隅に彼はいた。草の生い茂ったベンチの影で小さく丸くなって、そして動かなくなっていた。
忘れていたわけではない、トダカだってこんな日がすぐに来ることは分かっていた、老犬の姿を見ていれば、後数年なんて長い年月生きられる筈がないことを。
こみ上げる激しい絶望と悲しみ、そして恐怖が、シンを奈落のそこへ突き落とすかのような衝撃でぶつかってくる。
脱いだ上着に犬を包んでやり、呆然と目を見開いているシンを連れて家に戻る。
「シン・・・お墓を作ってあげよう・彼はもう充分に」
「嫌だ・・嫌だ・・もういやだよ・・そうやってみんないなくなる、俺は・・もう・・」
頭を抱えこみ。事切れたようにシンは悲鳴にも似た訴えを起こした。
生きる事が嫌だ、誰もいなくなる、本当にいなくなる。
両親そして妹・・犬・・そして今度は・・。
シンはトダカの顔を見る。
彼がいなくなるところなど。見たくない・・・。
シンは口を開き、無意識に舌を噛みきろうとした。
トダカは反射的に乱暴にその口に手を突っ込む。
人間の歯がこれほど痛みを生み出すとはトダカも想像しなかった。
牙のないシンの歯が、それでも食いちぎろうとするかのように、トダカの指を強く噛んだ。
「・・!シン!」
痛みのせいではないがそう名前を呼び叫び、指を離すことなく、口に突っ込んだまま、トダカは彼を抱きしめるように押さえ込む
トダカの指から血が滲み、シンの口内を・・鉄の鈍い味が広がる。
血の味が、シンに衝動的な吐気を呼び起こすが、嘔吐することも泣く、シンは指だけを吐き出し、息を堪えていた。
トダカはシンの衝動的自殺行為が止まったことに安堵し、シンの肩を抱きしめて背中を撫でる。
「いいか口っていうのは自分の命を絶つ為にあるわけじゃない。この口は命を作る。食事をして。そして呼吸をする」
耳元で低く、深い声がシンをなだめるように、そして叱るように囁いている。
「口は声を生み言葉を生む・・お前が「彼」に名前をつけてあげた、それもお前の声だった。お前の口が生んだ声が、残り少ない彼に新たな命を与えたんだよ・・・その口で・・・命を絶とうとするな・・・」
シンは力を緩め口を開く、無骨な大人の男の手でも傷をつけるほど強く噛んでいたのだ、それでも痛い様子を見せることなくトダカはじっとシンを見つめる。
その少年の虚ろな目は涙に溢れ、そして震えていた。
「・・みんな・・いなくなる」
「いなくならない、少なくとも私は」
「・・・嘘だ・・いなくなる・・そうやってみんな」
「いつかは死ぬ、でも今じゃない、もっともっと先だ。お前は強くなれるさ、その優しさがあれば」
「・・誰も失いたくない・・」
「だったら強くなれ、みんなを守ってやればいい」
トダカの声はシンに届いた。
生きることをやめてしまえばそれで終わりだ、希望や夢なくして、人は生きてゆけるのだろうか。
そしてひとしきり泣いて喚いて、やがてシンは立ち上がった。
墓を作り、そして「ただ少し先」に見送っただけだ、そういいトダカはシンの頭をま褒めてやるかのように優しく撫でた。
土を被せ、大事に還す。
命は生まれやがて絶える、そしてそれは再びめぐり続け何度でも死に、何度でも生まれ変わる。
「大丈夫、斉藤さんの命も、この土から、また新しい命の糧になる。そうだ・・お土産に彼に上げようと思ったんだが」
お土産に買っていた、おちついた色合いの首輪を墓石にかけて、トダカは微笑んだ。
シンは何を感じ何を見ているのだろうか。
「シンにもお土産があるんだ・・。お前が強くなるために、役立てるかもしれない」
「俺に?」
そういって取り出したのは、プラントへわたる為の、チケットと、そしてザフトのアカデミーの入学案内。
「シン・・どうする?このままずっとここにいてもいいし、プラントへ行ってもいい。判断は自分でしなさい」
強くなれるのだろうか・・・。
シンは最大の選択肢二つを真正面から見つめた。
「行くんだな」
「うん・・・俺強くなる・・それでさ、ザフトに入って守るよ。全てを」
「きっとできるさ。お前なら」
「そんときはしょうがないから、トダカさんのことも守ってやるよ」
少年の瞳は光を宿していた。ずっとそれを見ることを願っていたその光なのだからトダカにはこれ以上の喜びはもうない。
あとはただこの瞳を信じ続けるだけ。
「私のことは心配するな、自分の身くらい守れるさ」
「どうかなー、結婚も出来ない独身貴族だし、俺がいなくて寂しくて変な女とかに捕まっちゃいそうじゃん」
どの口がそういう減らず口を叩くのかと、最後に一つ叱ってやろうかと思いつつも、何故だか妙に説得力のある言葉のような気がして反論できず、彼は苦笑した。
「そうかもな」
「ありがとう・・・トダカさん」
はじめてそんな言葉を彼の口から聞いたと、驚いているトダカの視界に紅玉の瞳が飛び込んできて、そして唇に柔らかなものが触れた。
シンからのキスだと気づくのに幾らほど時間が掛かっただろうか。
「な!何してるんだお前は!」
「なにってお別れのキス」
慌ててシンを引き離すトダカに、きょとんと目を丸くしたシンは、大凡自分がしたのが当然のことかのように言う。
「だって、挨拶とかなんでしょ?プラントじゃ」
「誰がそんなこと言ったんだ、全く」
「ええ?だってマユとはお休みーって」
「妹と未婚のおじさんを一緒にするな」
顔を青赤らめて、トダカはため息をつく、この破天荒な少年はやはり最後まで自分を振り回してくれたのだ。
「・・・挨拶じゃないぞ、キスは愛情表現だ、プラントで誰彼構わずそんなことするなよ、なんだか危なっかしい」
「愛情・・・そうか口はキスもできるんだ」
トダカは溜息をつき、そしてそれでも少年の成長と、彼の目に宿る光を喜んだ。
「シン・・元気で」
「うん。」
今度は本当にまるで愛し合う家族のように、固く抱きあった。
まだ小さな少年の華奢な肩は、それでも精一杯腕を広げ、背中に回る手は温かい。
「・・強くなる・・絶対」
やがて再び時を経て、戦場で出会うことなど、このときの二人は想像もしていない。
それでもただ一人、地上の片隅から、飛び立つ彼を見送る。
誰のためでなくていい、強く真っ直ぐ信念のままに生きてと願い、トダカは空を見上げ続けていた。
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