癒えかけた傷口は乾いた痒みを伴い、怪我をしていることでさえ面倒なのに、余計な苛立ちを与えてくれる。
シンは瞼の傷に痒みを覚え苛々していた。
「掻いちゃだめよ、化膿したらどうするのよ」
「うるさいなルナは。しょうがないじゃん痒いんだから!左目も疲れるし、最悪だよ」
ミネルバ艦内の補修工事の最中、作業員の落としてきた資材の一部がメイリンを直撃しかけた、それを庇ったシンが瞼を切るという事件がおきたのはもうかなり前のことのように思われた。
左目のみの生活に慣れたとはいえ、そろそろ両目に戻りたいものだ。
シンは苛々するのを押さえて、溜息をつくと、眼帯を取ろうとした。そしてまたルナマリアに叱られるのだ。
今二人が向かっているのは医務室で、ルナマリアは別に彼が心配で付き添っているわけではないのだが、廊下で足音荒立てて歩いていたシンに何をそんなに苛立っているのか、尋ねたところ、医務室に来いといわれたというのだ。
「はいもう、とってもいいですよ」
面倒なガーゼ交換か、はたまた薬を塗りたくられるのかと、億劫になっていた医務室へいく行為が、此処へ来てやっと全て完了できる。
「本当?いいの?」
「ええもういいですよ、完全に瘡蓋になっているし大丈夫です、またもし何かあれば来てください」
シンは久々にクリアな視界できょろきょろと周囲を見る。
「うん、やっぱ両目見えるってありがたいな」
目と云うものが二つある以上、人間はそれでバランスをとって世界を見ているのだ、慣れれば多少はどうにでもなるだろうが、やはり最初は距離感も?めず、必死で目を凝らしていたお陰か、左目に負担がかかり、頭痛を引き起こしたりもしていた。
シンはすっきりとした気分で廊下を歩く。
「よかったじゃない。シン最近機嫌悪かったし」
「え?そう?」
「眼帯が邪魔で苛々してたんじゃないの?」
「あ・・うん・まあそうだけど・・」
ルナマリアは良かったわね、といいなんとなく付き合いで一緒に医務室へ行ったものの、自分の用事をするためにさっさとその場を後にする。
廊下の硝子に映る顔をじっと見ながらシンは瞼の傷をみた。
瘡蓋になって乾いている傷口は、どうも簡単ぺりっと剥がしてしまいたい衝動に駆られる。指先で傷口に触れて痛みもないことを確認したシンは剥がしてやろうかとそのまま指先を立てた
「シン。眼帯取れたんだな」
急に声を掛けられ、まるで不味いことでもしていたかのように慌てて手を下ろしたシンは、声をかけた相手を振り返り、ええまあ、と曖昧な返事をした。
アスランはほっとしたような顔でじっと目を見ている。
あれから数日と云うもの、怪我の一件以来、甘えきってしまったアスランに今後一切甘えることを自分で禁止したシンは、彼の前でいつもより真面目に、恐らくアスランが認識しているだろう自分よりも数倍大人ぶって、落ち着いて見せていだ。
しかし事もあろうことか、アスラン自身はそれにも気づいていないのか、相変わらずまるで動物か、子供を愛でるような目でシンを見ている。
「アスランさん、俺子供じゃないんですよ。そういうの本当にやめてください」
「傷残らないといいけどな・・・」
無意識かアスランはシンの目に掛かりそうなほどの長めの前髪を掻き分けてじっと右瞼を見る。
「はあ・・どうでもいいですよ、治ればそれで、女じゃなるまいし」
「あ・・そうだなそういえば」
妙な事を言う人だ、と怪訝そうな顔をして、シンはその手からするっと抜けた。可愛がってくれることを嫌だとは思わないし、アスランが意味合いは色々あっても好意を抱いてくれていることは、シンにとっては喜ぶべきことだ、誰しも人に嫌われて生きていたくはない。
しかし、アスランのそういう行動は、やはりシンにっとてはある人物を思い出すのに充分だ。
「あんまり俺のこと変に構ってたら、結婚できなくなりますよ」
「はあ?」
「ラクスクラインと、結婚するんでしょ?」
ディオキアで、シンはアスランとラクス、もといミーア・キャンベルの仲睦まじい姿を一度は見ている。というよりラクス、とシンは信じている少女ミーアが、アスランをいかに好きかと云うことは、恋愛感情に疎いシンであっても理解の範疇だった。
「あ・・いや・・・まああれは戦争の前のことだ・・今じゃそんな約束事も無効だよ」
「えー、勿体無い。彼女かわいいし、有名人じゃないですか」
アスランはシンの言葉に本当に驚いたような顔をした。
シンがそういう意見を述べるとは事実これっぽちも予想していなかったのだ。
「お前ああいう子がタイプか?」
「いえ、全然。俺はもっとこう・・・って何でオレの話になるんですか。もういいです。それじゃ」
シンは聞かれることに素直に答えて、自分の女の子のタイプまで、アスランについ話しそうになっていた。
ご立腹な様子でシンはアスランから脱兎の如く逃げていく。
無防備になってしまう弱みを出してしまう。そんな自分が許せない。
些細なことでも同じこと、シンにとって自分の趣味や、甘ったるい感情をアスランに知られることは、好ましくない。
シン自身、自分は妹のような甘えん坊な女の子が好きだ・・と思い込んでいる。
だから自分が甘えるなんてそんな恥ずかしいこと死んでも御免だと。
だがどんなに断ち切ろうと背伸びしようと努力しても、シンは突然降り注ぐ自分に対する優しさや好意に甘え浮かれ、そっちばかり見てしまうのだ。
そんなのを恋というのよ、とうっかり相談した相手を間違えたシンは、好奇心に満ちた眼差しで見つめられた。
メイリンと、ヨウランとヴィーノに、名前はもちろん伏せて、そういう相談をしたところ、メイリンは興味丸出しで目を輝かせた。
「あーあーついにシンも恋かあ。相手は?美人か?誰?艦内のひと?教えて!」
ヴィーノもヨウランもやはりメイリンと仲良し三人なだけあって、同じように興味津々でシンをせっつく。
「そんなんじゃないって・・多分ていうか俺の話じゃないし、別に」
「じゃあ誰の話?」
「えっと・・・人に聞いた!誰だっけ・・ディオキアで会ったザフトの先輩の・・はなし」
なんて間抜けな言い訳だろうかと、内心呆れていたシンだったが、もっとうっかり騙される彼らの単純さに、失礼ながらも相手が馬鹿でよかったと安心したのだ。
「えー。ザフトって人多いし、ほら女性で活躍してる人も多いじゃない?やっぱ憧れるのよねー」
「噂によると、アカデミーにルナに憧れる「ルナマリアになり隊」みたいなものが発足してるとかしてないとか・・」
「いいなあ大人に憧れ恋をする・・かあ。俺も綺麗なお姉さんとお付き合いしたいよー」
三人が口々にそういうのを聞き流しながら、シンは相槌を打ちつつも、一歩一歩と退却していく、よもやそれが自分のことだなんて知られた日には、相手を隈なく見つけられてしまうだろう。
・・馬鹿なことを、恋なわけないじゃん、男同士で
シンの独り言は声には出ていない。しかしもう充分に彼の気持を揺り動かしていることは確かだった。
不味かっただろうか。
シンに対しての接し方を窺うような自分の情けなさに、アスランは辟易していた。
しかしレイが言ったことも実際事実であり、シンの持つ強い意志と云う名の道に、アスランは石を置いている。
それでもアスランはお節介なことと分かっていても、シンの歩む道に他の道を作ってやりたい。
恐らくこのまま行けば、デュランダル議場の導きのままシンはそこに自分の願いを重ね、まっすぐ突っ走ってしまう。
それを危惧することが、どれほど筋違いな話かは、アスランが一番感じていることだが、それでもどうしても彼が気がかりでならない。
もしシンが、平和の先に何もみていないとしたら。
しかし今のアスランには何もできない、自分の意思すら定まらず、どこへ向かえばいいかわからないアスランに、他人の行動を咎める権利はない。
議長の言う平和への道程は恐らく正しい。しかしキラやAAはそれを否定し、そして世界が向かう方向を歪めようとしている。
自分がどうすればいいのか、アスランにはわからないのだ。
思考が頭を溢れんばかりに満たし、アスランの体に残るのは深い疲労感だけだ。
色々考えすぎて疲れきっていたアスランは、キャッキャと騒いでいる新米整備士二人組みと、オペレーターの少女の姿を見かけて、彼らと交わすくらいの軽い会話なら、何も考えなくて済むだろうと、大変失礼な決めつけをして近づいた。
「何か楽しいことでもあるのか?」
「あ、アスランさんなら知ってます?ディオキアで聞いた話らしいんですけど、ザフトの先輩で美人な年上の上司に翻弄されてる人いるの」
「さあ?・・不倫か何かか?・・俺はそういう話はあまり聞かないからなあ・・」
恋に恋する年頃の彼らには実に興味深い話なのだ。
甘えたくないけど、甘えてしまう、自分の信念を崩されそうで怖い、本当はもっと大人でいたいのに、見上げてばかりいて反抗したりもしてしまう、という話。
アスランはそれを聞いて、さすがに先輩ではないだろう、と眉を顰めた
「それ本当にザフトの先輩兵士か?なんか子供みたいな・・」
「だってシンが聞いたっていうんですよー」
シンが他の上司や先輩とそんな恋の話などするのだろうかと、アスランさえ疑問に思う。
大方ハイネのようなタイプの人物が聞いてもいないのに、そんな話をふっかけてきたか、或いはもっと別の・・・。
「シンってディオキア駐在の兵士と仲がよかったのか?そんなに滞在していたわけでもないし・・・」
「あ、そうそうそれだ、シンって先輩に嫌われてた。」
ヨウランが合点がいったと手を打つ。アスランの推測は強ち間違いではないようだtった。
彼らは一斉にそういえばそうだ、と賛同し合い、あえて聞き出そうとしたわけではないが懐かしいアカデミーのことを語り始める。
「シンって、生意気で成績よかったけど調子に乗るし、結果だせばいいんだろみたいなところあって、すっごい先輩とかに嫌われてたんですよねー。」
「それにあいつって暴れ馬だったから、今でこそ、アスランさんの前じゃ借りてきた猫みたいに大人しくなるけど、そんなそんなとても先輩を先輩と思って敬うような奴じゃありませんでしたよ。アスランさんくらいじゃないですか?ぶつかっても懐かせた人なんて」
「敬う?借りてきた猫??」
「え?そうですよ、すごく懐いてるじゃないですか」
アスランは正直なところ、驚いていた。
自分がそんなに珍しい存在だとは思わなかったのだ。シンのああいった横柄な態度も裏を返せば不器用さの現われというだけで、きっとなれてしまえば今のように素直に懐いたりする、意外と単純なタイプと思い込んでいた。
「あいつ、一度ぶつかった奴には二度と懐かないから、シンの人に対する好き嫌いって分かりやすいんですよね」
「本人は認知してないけどすごく好きか、すごく嫌いだけで、それもしかも相手をよく把握しないうちに決まってたりして」
何故だがアスランは物凄く恥ずかしかった。
アスランは理解してはいないが、シンはアスランを特別に感じている。それは深い意味があろうとなかろうと、そんなことを聞かされ恥ずかしくならない人間などいない。
それも特にああいう手合いの人間だからこそだ。
「あ、でもあいつ自身も凄く嫌われるか、凄く好かれるかどっちかだよな」
「そういえばそうね」
それはそうだろう、そこまでハッキリしているとやはり好意も悪意も両極端になるのは当然のこと。
そうだろうな、とアスランが羞恥で動揺していたのを隠して頷くと、ヴィーノたちは事も無げに笑って繰り出す
「あんな性格だけど顔可愛いから先輩には変なファンとかいたもんな」
「ムキムキした体育会系の兵士が花束持って来たときおれ、すげえ笑った」
「普通に告白とかされてたよねー」
「ちょっとまて・・それは・・相手は?」
「男ですよ、ほぼ全員」
ますます色んな意味でシンと云う人間が不安になるのは否めないだろう。
アスランは衝撃で先ほどまで受けていた照れくさい甘ったるい考えがすっかり消えてしまい呆然と立ち尽くす。
ヨウランたちが言うのは、アカデミー時代のことだ。事実今は職場であり、さほどそういう無法なことはないが、シンの生意気さと居丈高さは時に妙な信者を得ていたのだ。
アカデミー時代今より少し幼いシンは、オーブからの移住者で、天涯孤独な少年で、その辺にいる女子よりも肌が白く、珍しい紅い瞳をしていて興味引かれることはあった。ところが性格は破綻していて、生意気極まりない上に、プラントの金持ちたちから見ればオーブの戦争孤児に生意気なことを言われ、その上成績の上も負ければ嫌う原因になるのは当然だ。
しかし一部のマニアックな志向の人はそこに惹かれた。
「上手く立ち回ればいいのに、余計切れるから、切れるシンに惚れてる連中なんて、もっとしつこく迫ってきて・・なんか最終的に」
「ヨウラン!」
慌ててヴィーノとメイリンがヨウランの口を塞いだ。
不穏な空気が流れるという言葉のとおり、和気藹々とした楽しい空気をヒンヤリとした何かが流れる。
「よ・・ようシン」
「いやあ・・・なんかこの部屋寒くない?」
「あ・・あははー」
シンは怒涛の如く怒り出すだろう、そう予想して三人は縮こまり頭を抱え込む。
しかしシンは溜息をついただけ。
「あんまり勝手に昔の話とかするなよ。一人や二人のことじゃないんだから」
「ご・・ごめん・・・」
怒らない代わりにシンは弁解したそうにアスランの様子を窺っていた
「アスランさん、気にしないでください。ちょっと大袈裟に言ってるだけですよ」
「でも本当じゃん。お前のことまだ好きっていう奴いると思うよー」
「いたとしてもどうでもいいよ、俺そんな趣味ないから!」
妙な誤解を受け、完全に引かれてしまうことが嫌で断固きっぱり否定したシンだったが、アスランは曖昧な顔をしたままだった。
心配ごとが増えてしまった。
アスランは軽い胃痛を覚えてしまい、大きなため息をついた。
彼は余深く考えたことのないことだった。シンにもしそういう趣味があったとしてもショックだろうが、隊の仲間の不幸な話に衝撃を受けてダメージを受けたのに加え、シンに対する不安が増大してしまった。
危うい均衡でもって生きているようなシンだからこそ起こり得る事態なのだが、それはそうだな、と納得して受け流せるほどアスランも無頓着ではない。
部下の貞操の危機を案じることになるなどと、よもや思いもしないアスランは突拍子もない考えを抱いた。
・・いっそ傍にいさせて監視しとけばいいのかな・・・
シンが怪我をして以来、アスランは自分でもわかりすぎるくらいシンのことばかり心配していた。
アスランにとってそれは友愛のようなもののつもりだが、それはエゴでしかない。
AAが雲隠れし、動向も見えない今、アスラン本人は気づいていないが。身近にいる彼をどこか手放したくないという無意識の執着心がある。
アスランなりの愛情だと表現すれば聞こえはいいが、それはただの我が侭。
廊下を行くシンの通り道を塞ぐ影が落ちた。
「・・・何?」
「話があるんだが、シンアスカ」
誰だったっけ?と首を捻るシンに、眉を吊り上げ、相手は怒りに打ち震えている。
相手は三人。シンを嫌っていた人物たちだったか、好いていた人物たちかもシンには分からない。興味はない。
留まる気などなく、背中を向けたシンは、途端背中を押され床に転びかける。
「!」
その腕をつかんだ一人が、あけた倉庫の扉の闇に軽い体をを放り込む。
埃っぽい倉庫の空気にむせて、思わず咳き込んでシンは体勢を立て直せずにいた。
相手は体格のいい大人だ。不躾で不潔な笑みを浮かべ、シンを嘗め回すように見つめる
「ずっと待ってたんだよ・・・。お前アスラン・ザラとできているって本当か?」
そんなわけないだろうと反論しようにも、シンはその名前を挙げられた瞬間言葉に詰まっていた。理由は彼にもわからない。
動作が止まったその一瞬に、無骨な大きな手のひらがシンの頭を?み、食料倉庫の小麦粉の山に体ごと押し付けた。
「なあ本当?」
「・・・・もし・・そうだって言ったら・・どうすんの?」
頭を割れるほど強く押し付けられ痛みに耐えながらシンは相手を睨む。
「・・なら俺たちも相手してもらおうかなあ・・・お前あのやろうに大事にされてるんだってなあ・・もうやってんだろ?」
悪意を向けているのはシンにではない、これはアスランに対する悪意である。
その矛先を向けられたシンは大きく目を見開く。
声が出ない。
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