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艦内のある一角が妙に騒がしい。
クルーたちが火事現場の野次馬のような軽い興味だけで、悲惨な現場を物珍しそうに見ている。
「被害者は凄い怪我をしたって・・・」
「ああそうそう、でもあれってインパルスの・・・」
通りすがりのアスランの足を止めたのは、人々の噂と、騒がしい現場で飛び交う言葉
「インパルス」というワードが、反射的にアスランをその現場に意識を向けさせ、噂話をしている誰とも知らないクルーの肩を勢いよく?んだ。
「何かあったのか?!」
「うわ、アスラン・ザラ」
「何があったと聞いている」
年頃もそうアスランと変わりない男は、突然肩を?まれ、まるで攻撃でもされたかのように驚いていた。
「何が・・・」
「ああ・・・ちょっと暴行事件だよ・・。三人組が今連れ出された」
「・・・・!三人組みと・・・もう一人は?」
「インパルスのパイロットだよ、あの赤目の」
遅かったのか、危惧していたことが実際に起きてしまった。
アスランはその場で呆然と立ち尽くす。
「・・・被害者は・・・どこだ」
「あ・・えっと医務室に運ばれた・・・」
周囲に色という色が消えてしまったかのように目に映らない。
声がただの騒音のように、耳の中をざわざわと撫で付けるような嫌悪感がアスランを包んでいる。
医務室までの道のりをこれほど遠くに感じたことがあっただろうか。
ドアを開けるのが怖い、そう震えそうになる気持ちを抑え、ドアを開いたアスランがそこで見たものはまさに惨劇の後だった。
「・・・・・・」
「ザラ隊長、こちらは我々医療班で充分間に合いますので、士官室に急いだ方がいいですよ」
そう医師が進言するとおり、アスランは此処にいる理由はない。
確かに重症患者が、悲鳴を上げている、顔は見る影もなく晴れ上がり、歯が折れているのか、口から血と唾液が流れ出ている。患者は屈強そうな体躯の男性三人。どこをどうとってもシンアスカではない。
それだけ確認し、目を丸くしているアスランを呼び覚ます艦内放送が流れた。
『アスラン・ザラ、至急艦長タリア・グラディスの元まで来られたし、繰り返します・・・』
何がどうなっているのかさっぱり分からない。
事件発覚の立役者となったのは、偶然にも食料貯蔵庫の付近を通り掛かったアーサーだった。
彼が男性の悲鳴や叫び声を聞きつけ駆けつけたとき、倉庫内は蹲り血を流し悲鳴を上げる男たちの悲痛な叫びに満ちていて、その中央には逃げ惑う男を鬼神の如く殴りつける華奢な体躯の少年の姿があった。
驚いたアーサーの悲鳴を聞きつけて駆けつけた兵士たちが、シンを取り押さえ、そして漸くすでに重症を負った三名を引きずり出したのだ。
被害者は三名の設備の整備士たち。
犯人はインパルスのパイロット・シンだった。
「アスラン・ザラ、ただいま参りました」
駆けつけた士官室では、タリアが縋りつくような視線をアスランに送ってきた。
彼女が困るのも無理はない。彼女の前に手錠を掛けられ立っているのは、シンだった。
「・・・アーサー、アスランに説明を・・」
「は、はい。えっと・・・・その」
「俺があの馬鹿ども三人をボッコボコにしたんですよ」
シンは自分は悪くないという顔で、真っ直ぐ立ちながらもどこか捻くれた声をあげた。
その顔からは鼻血が流れ、乱暴にそれを拭いながらシンは全てを睨むように見た。
「シン・・・・お前というやつは・・俺はてっきり・・・」
心無い男たちの欲求の対象にされ暴行を受けたのかと肝を冷した。と言いたかったアスランは、反省の色も見せない生意気そうな横顔に、どことなく納得してしまった。
シンがそんな行為を許し、恐怖と力の差に負けて泣き寝入りをするようには思えない。
それがアスランを安心させたものの、暴力事件としてこれは有罪になりうる。
「シンが理由を話さないのよ、ムカついたから・・としか言わないから報告も出来ないわ」
鼻血や着衣の乱れから、喧嘩両成敗なのでは?と思ったアスランは、ことごとくその甘い考えを切り捨てられるかのように返された。
「止めにはいっても暴れるものだから、殴って取り押さえたそうよ」
「だから鼻血が出ているのか・・・。お前は・・・でも原因はあるだろう?」
「・・・別に」
殻に閉じこもったシンは、厄介で、決して素直に話をしようとはしない。それを知っているタリアはお手上げ状態でアスランに任せようかと無責任にシンを放置してしまいたくなった。
艦長である自分の言うことさえ、たまに聞かなくなるようなシンを誰が一番上手く扱えるのか、彼女自身それは分からない。
「・・シン、話さないとお前、処分が決まるまで牢入りだぞ」
「いいですよそれで」
「よくないだろう!」
苛々してはいけないと皆分かっていても、頑なに他人の介入を拒み始めたシンの横柄な態度に苛立ちを覚えないわけはない。
「・・・・あいつらが先に手出そうとしたんですよ、未遂ですけど、誰だってあんなわけわかんない奴らにいいようにされたくないでしょ?」
「それはさっきも聞いたわよ。でも未遂だった。あなたは逃げることができた、他の人を呼ぶことも・・でもなんであんなにしつこく殴ったりしたのか・それを聞いているのよ」
シンはまた黙り込む。
性的暴行を受けそうになったことは事実で、それをシンは隠そうとはしない。
アカデミー時代のあの話が事実であるということの象徴だ。シンは事実そんな行為をされたこともしたこともないが、そういう目で見られることには慣れていた。
ヨウランが言いかけた言葉はそれだった、「最終的に襲ってきた人を殴り飛ばした」と。
しかし回避だけならその術を心得ている筈のシンが、あくまで相手を傷つける行為として暴力を働いたことに、アスランも困惑していた。
理由を話さない限りは、彼らはもちろんシンにだって重罪が科せられる。
かっとなったから・・だとかそういう理由ではないと信じている。だからこそ本当の理由を聞きたかった。
「別に理由はありません。もういいからさっさと反省室でもなんでもぶち込んでくださいよ!」
「いい加減にしろ!これはお前一人の問題じゃないだろう迷惑をかけているのがわからないのか!」
思わず怒鳴ったアスランは一瞬で後悔した。
シンはその瞬間だけ先ほどの気丈さが嘘のような、傷ついた子犬のような顔をした。
しかしそれさえその一瞬で、すぐに眉根を顰めて牙を剥く。
「俺は・・!」
「失礼します」
ドアが開いて、殺伐とした艦長室の空気を断ち切るように、颯爽と現れたのはレイだった。
「レイ、よく来てくれたわ・・・」
レイは敬礼をしてから、シンの前に立つと濡れたタオルでぐいぐいと鼻血に汚れた彼の顔を拭き、そして髪の毛のと衣服の埃を払う。
「話さないでいいのか?」
「・・・・いい。話したくない・・ここでは」
「なら誰になら話す?」
レイは大人が雁首そろえて苛々したりオロオロしたりと何もできない中で、淡々とした口調で興奮していたシンを宥めていた。
さすがは同室なだけあるなあ、とアーサーが暢気な感想を述べている間に、すっかり鼻血も埃も取れたシンは俯くと小さな声で呟く。
「・・・落ち着いて考えてから。言います・・・。アス・・あ。ザラ隊長に」
「俺に?」
「考えてから」
それじゃ遅いんだが、と皆が思ったが、折角大人しく言うことを聞くようになったシンの神経を逆撫でしたくはない。やむを得ずタリアは規則にしたがってシンを、独房行きにするよう命じた。
シンは衝動的に拳を叩きつけていた。
死に物狂いのアカデミーでの研修期間で彼が得たものは、他者に対する最も有効的な攻撃方法だ。
アカデミーに通うまだ歳若い士官候補生たちは、発育の良し悪しもあり、体格に差がある。そうなると必要なのが技術と「躊躇わない」気持だった。それは最もシンが欲していたもので、強くなるためであるなら演習中で例え友であっても手加減なく打ち込んだ。
その結果が今のシンであり、それをシンは間違ったなどとは思っていない。
三名相手に大立ち回りをし、更に重症を負わせたことは、確かに自分の非を認めていなくても、不味いことだということは理解している。
だが体格的に劣る筈のシンにいっそ小気味言いまでにぼこぼこにされた彼らのプライドの行く先は誰も知らない。
薄暗い独房で、シンは簡易式ベットに腰を下ろし、まだ鼻血のせいでバリバリした不快感の残る鼻を少し乱暴に擦る。
・・・そういえばこんな空間どこかで体験したな・・・。
オーブで戦火に巻き込まれ、家族を失った後、収容されていたのがこんな薄暗い施設だった。
すすり泣く人々の声や、焦りと困惑に苛立つ大人たちの議論を繰り返す声が響いていた施設で、今と同じように一人で膝を抱えて震えていた。
一人は・・もう嫌だ・・。
「泣くのなら話をしてからにしろ」
はっと入りかけた過去の記憶から引き起こされシンは顔を上げる。
格子の向こうに立つのはアスラン、その人だった。
「・・・・アスランさん?・・・」
「お前が事情聴取の人材として俺を指名したんだろう、驚いた顔をするな」
呆れ半分シンのポカンとした表情を見て、アスランは溜息をついた。
このところシンに関わり溜息ばかりつかされているアスランは、それでも根気よく、大事な仲間である彼の話を聞くためここへやってきた。
「さあ・・言えることだけでもいいから・・・」
少し声を落とし、ゆっくり促すようにアスランは言う。どこか優しくて深い声がシンを呼ぶ。
「・・俺・・・別に殴られても、変なことされても・・負けてしまったんなら・・・それで・・よかった・・」
またか・・。こう保身がなく自分の身に関しての執着心がない発言をする。
そのことを一瞬咎めようとしたが、彼のスタンスを崩す言葉は今は掛けられないと気づき、アスランは口を閉じ話に耳を傾けた。
彼らが恨んでいた相手は紛れもなくアスランだった。
そのことは一度退役してから平気で復帰した上に、赤服を着こなし、更にはフェイスという権力を得たアスランだからこそ、有り得ることだ。言い分は確かに正しい。嫉妬心と反感を買うに充分すぎる材料を揃えているのだ。
シンが聞かされたのは、アスランに対する悪意に満ちた言葉だった。
・・パトリックザラの息子だからいい地位についていたのに戦争が終わったら逃げ出した、その上帰ってきて今度は議長に取り入った。
・・婚約者の名を使っての売名行為をしている・・
シンとてアスランが何故ザフトに戻り、こうしてフェイスにまでなっているのか、わからないし、最初はそれに反発しているという節ももちろんあったのだ。しかし彼らの持っていた怨恨の思いは、そうしたザフト軍を愛し、従属するからこその言葉ではなくただの嫉妬心。
愚かしい者の戯言にいちいち巻き込まれてしまうなど冗談じゃない。聞く耳持たずで、無視を決め込み、上手く立ち回ってさっさと逃げようと、シンはそう思っていた。
「・・・でも・・・・」
もしかすると冗談だったのかもしれない、適当にシンの体を傷つけそれでアスランに対する嫌がらせとし片付るつもりだったのかもしれない。
しかし三人は口々に
『どうすればアスラン・ザラを殺せるか』
を口にしていた。
発進装置を自爆装置に換えてやろうか、食事に毒でも盛ろうか。
そして結論は、部下を一人殺して、その罪を上手く彼に被せ、苦悩の挙句自殺に追い込んで社会から抹殺する。だった
愚かで有り得ないくだらない作戦だが、彼らの冗談にはアスランに対する「死んでほしい」という願いが多分に込められている。
シンは体を押さえつけられながら、その言葉を聴いた。
また誰かを失う、連れて行かれる、消えてしまう。
例え冗談と分かっていても、「大事な人を失いたくない」シンにとってそれは鋭い刃での攻撃と同じことだった。
「・・俺は・・・あいつらを消してしまわないと・・・アスランさんが・・・いなくなるって・・思って」
震えながら彼らを殴りつけた自分の手を見ると、また小さく一言一言言葉を繰り出す。
「そう思った瞬間・・止まらなくて・・・。俺は・・アスランさんを・・なくしたくない・・・・」
見上げてばかりの相手であるアスラン。それでもシンには本当に大事だった。
感情に被せていた重い石蓋ははじけ飛び、そしてシンはアスランを失うことを本気で恐れた。
「いなく・・ならないで・・ここにいて・・・」
独房の格子から延びる手は同じ制服を身に纏っていても、アスランのその手より一回り小さく、鮮やかな紅の瞳が、透明な涙の粒を雨のように降らせ、まるで子供のように幼い。
失いたくない。それだけがシンの言葉だった。
アスランは咄嗟に彼の手を握り締めた。自分の手より一回り小さい手は、どこかヒンヤリとしてアスランの不安を駆り立てる。
「いなく・・ならないさ・ここにいるよ・・シン」
「・・・ここにいて・・」
涙で滲む視界の中でアスランはどんな表情をしているのか、シンには分からない。けれどシンは初めて自分で今感じている感情を理解できた。ずっとそうだったのかもしれない。
言葉にはできないけれど。
・・あなたが好きです・・・
胸を焦がすような幼稚で無垢な感情を本当の恋と呼ぶのなら、シンは生まれて初めて恋をした。
「ここにいる・・・」
湧き上がる涙も嗚咽も飲み込むように、アスランの手が格子を越え、シンの頭を撫でる。
この純粋で心優しい少年をどうしたら泣きやませることが出来るのかわからなくても、ただアスランはその頭をなで、格子越しにその体を抱きしめ続けていた。
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